妹の好きな人
妹に好きな人が出来たらしい。
や、別に虹夏本人から直接聞いたわけではない、所謂姉の勘というやつである。齢一桁の頃から妹の世話を焼いていただけあり、彼女の心情の変化を察する能力には少しだけ自信がある。
で、その肝心の相手が誰かというのは言うまでもない。
後藤ひとり
数ヶ月前にSTARRYにバイトとして入ってきた彼女は、目に痛いピンク色を全身に纏った佇まいからは想像もできないような謙虚な態度や言動を繰り出す。
…謙虚というより、人とのコミュニケーションが苦手な類の人間なのかもしれない。虹夏たちが付けたらしい「ぼっち」というあだ名もそこに由来しているところがあるのだろう…、本人が嫌がってないのが不思議だ。
「お姉ちゃん、新曲の合わせしたいんだけどこの後部屋借りてもいい?」
『あぁ…、18時から2時間くらいなら出来るだろ。使用料はバイト代から引いとくから』
「えぇ〜!妹からお金巻き上げるつもり⁈」
「今手持ちがないのにそんな殺生な…。郁代、ここは頼んだ」
「勿論です!リョウ先輩のお願いとあらば」
「喜多ちゃん⁈お財布しまって!」
『…冗談だよ』
「もう〜、びっくりさせないでよね」
「店長、恩に着る」
虹夏たち結束バンドは、このライブハウスでバイトする傍ら、ライブに向けての練習なんかもやっている。後藤ひとり……ぼっちちゃんもそのメンバーで、虹夏の熱烈なスカウトに二つ返事で了承したらしい。
「あ、えと、店長さん……、あっあの、場所貸してくれてありがとうございます……」
『身近にバンドやりたい子たちがいるのにサポートしないなんて、ライブハウスの店長失格だからな…結束バンドには接客手伝ってもらってる恩もあるし。』
「いえそ、そんな……、私はただ」
『知ってるか?ぼっちちゃん達が来てから客の数が少しずつ増えてってるんだ、ライブしてる面子はいつもと変わらないのに。STARRYの看板娘が増えたおかげかな』
「カヒュッ⁈看板むむむ、カンバンムスメなんて!おっ、恐れ多いです……」
後ずさり、顔をブンブンと振り回して謙遜しながらも、ぼっちちゃんの口角は上がり、頬と耳は、サラサラなロングヘアに負けないくらいピンクに染まっている。こういう褒めるとすぐ調子に乗る…もとい、自分の感情を嘘をつけないところは好印象だ。
「ぼっちちゃ〜ん、そういえば新しいギターの具合はどう?」
「あっ虹夏ちゃん……。そうですね、凄く馴染んでて良い感じです。お父さんのギターしか使ってこなかったからちょっとだけ不安だったんですけど、次のライブまでにはどうにかなりそうです。」
「良かった!この後楽しみにしてるね〜」
「あっ、そ…そういえばリョウ先輩どこにいらっしゃいますか……?新曲の歌詞、まだ試作の段階なんですけど見てもらいたくて」
「リョウなら今機材の片付けじゃないかな?ステージの方にいると思うよ〜、それと歌詞、後で私にも見せてほしいな?」
「あっえっ、歌詞って言ってもまだ思いついた言葉をノートに書き殴ったくらいで全然形にはなってなくて、虹夏ちゃんたちには完成したものを見てもらおうと思ってて…!それで……」
「もう〜、ぼっちちゃんはもっと自分に自信持って!私、ぼっちちゃんの書く歌詞すっごく好きなんだから!リョウのアドバイスが入った後も勿論好きだけど……。ぼっちちゃんのありのままの気持ち、知りたいと思っちゃって…、それって変かな?」
「いえ、いえそんな!その、こんなので良ければいくらでも見ていってください!」
「やった〜!へへ、約束だよ?」
……虹夏は普通、人にこんな風な甘えた態度を取らない。家でも、ぼっちちゃんより関係の長いリョウの前でも、彼女はしっかり者として 家事をしない姉や、怠惰で金にがめつい幼馴染の世話を焼いていた記憶しかなく、ましてや年下相手にこうなってしまうのははっきり言って異常事態だ。完全にぼっちちゃんに"ホの字"と言って差し支えないだろう
『ぼっちちゃん、今はどんな曲の歌詞を書いてるんだ?』
「あ…今書いてるのは、自分に自信がない人に『あなたを評価してくれる人はたくさんいるから下を向かないでほしい』って思ってもらうのをコンセプトにした曲です。そんな歌私1人で完成させられないのでリョウ先輩に相談しようと思ったんですけど…。やっぱり歌詞ってバンドメンバー全員で作っていくものなんでしょうか。…後で虹夏ちゃんに謝らないと」
どうやら虹夏はぼっちちゃんの歌詞を最初に見るのがリョウであるというのが不満みたいだ。自分が見てもロクなアドバイスなんて出来ないくせに。
『…謝る必要なんかないよ。歌詞の作り方なんてバンドの数だけあると思うから、結束バンドなりのやり方を探して行けばいいさ。
……にしてもぼっちちゃん、虹夏に相当気に入られてるみたいだな。』
「…え、私がですか?」
……しまった。私は今なんて言った?
これじゃまるで2人の関係に私が嫉妬してるみたいじゃないか。
妹を取られそうになっているから?
まさか、ずっと同じ屋根の下で過ごしてきた姉だからこそ、私は虹夏には最大限幸せになってほしい。その思いは嘘なんかじゃない。
じゃあ、この気持ちは何だ?
「そんな…私が誰かに気に入ってもらえるなんて、100年早いです。メンバーのみんなにも迷惑をかけてばっかりで、少しでも恩返しが出来ればと思って書いてる歌詞も、1人じゃ中々上手くいかなくて。虹夏ちゃんは私をバンドに誘ってくれて、こんな私にもずっと優しくしてくれたから、リョウ先輩にアドバイスを貰って完璧に仕上げた歌詞を見せてあげたかったんですけど…それも空回りしちゃったみたいです。」
『…。』
……あぁ、この子はなんて鈍感で、それでいてなんて優しいんだろう。自分をどこまでも下げて、相手のことを考えて、行動する。ぼっちちゃんなりのとても不器用で、美しい思いやり。
そうか、さっきのモヤモヤはそういう事か。
なんとも自分が不甲斐ない……
でも、彼女にそんな風に思ってもらえるなんて
虹夏が少し羨ましいな。
「今度からバンド関係の事は全部虹夏ちゃんに話を通してから行動するようにします……。」
『…そんな気に負うことないよ。ぼっちちゃんの思いはきっと虹夏にも伝わってると思うし、ずっと顔色を伺われるような関係は虹夏も望んじゃいないだろう。だから自分のやりたい事を信じて。…月並みな言葉になるけど、これからも妹をよろしくな。』
「店長さん…」
『ただ…、たまにで良いから歌詞を1番に虹夏に見せてやってくれ、それだけ。』
『ちょっと、2人とも何の話してるの〜?」
「ぼっち、虹夏から話は聞いた。歌詞ノート貸して」
「リョウ先輩!それに虹夏ちゃんも…」
「引き留め過ぎたな。すまんぼっちちゃん、行っていいぞ』
「あっ、いえこちらこそ変な話してすみませんでした。……それと店長さん、今日はありがとうございます!少し、なんとなく前向きになれた気がします。また明日からもバイト頑張るので!よよ、よろしくお願いします!」
『ぼっちちゃん…』
「ここのフレーズ、ネガティブな人物像の解像度が高い。流石ぼっちと言ったところか」
「コラ!リョウそんな言い方しないの!」
「すみません…ネガティブな人間ですみません……」
「ぼっちちゃんここで溶けないで!?」
3人の声が遠くなっていく。
妹の友達に劣情を抱きそうになるなんて、本当に自分が情けない。変な顔とかしてなかっただろうか。…ぼっちちゃんは鈍感だから、きっと気づかないだろうけど。
「おじゃましまーっす!あれ〜?せんぱい、なんか顔真っ赤っかですよ、もしかして昼から酒飲んでるんですかぁ?せんぱいにしては珍しいですねぇ…、可愛い後輩も混ぜてくださいよ!ほら丁度"おにころ"持ってますし!なんて良いタイミングだぁ」
この想いは一先ず胸にしまっておこう。
…空気の読めない飲んだくれの胸元を掴みながら、私は青春を謳歌する若い衆を見送る。
歌詞ノート、いつか私にも見せてくれてないかな。